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最上川の歴史

歴史的、文化的資産の宝庫

最上川は、松尾芭蕉をはじめ古今の多くの文化人により詩歌が歌われているなど、歴史的・文化的資産を有しています。
平成9年度現在でも、校歌に「最上川」が織り込まれている学校が県内小・中・高合わせて107校あり、古くから学校教育の中で親しまれています。

輸送路としての発達

今のように鉄道や自動車などの交通機関が発達していなかったころ、山形の多くの地域では舟による物資輸送が行われていました。
近世初期の山形城主最上義光による岩礁の大開削や、元禄年間に米沢藩の西村久左衛門が村山と置賜間の五百川渓谷を開削するなど、昔の賢人たちの努力により最上川の上流から河口まで航路がひらかれると、たちまち主要な輸送路として舟運が発達していきました。

文化交流のはじまり

19世紀初頭まで上流部から京へ米・紅花・アオソなどの特産物を舟で積み出し、鮭川からは金山杉などの木材を筏に組み酒田港まで下し、帰路には上方の塩や木綿等が搬入されました。
さらに、北前船により仏像、梵鐘、石造物が持ち込まれ、また、県内の祭りに京都・祇園祭りの影響がみられるなど、物資の輸送とともに文化の交流がもたらされました。

文化を運ぶ道

明治時代に入り、鉄道の整備が進められ、奥羽本線の開通や酒田・新庄間の陸羽西線の開通に伴って、最上川の舟運はその歴史的使命を終えましたが、最上川は経済の大動脈として、また、「文化を運ぶ道」として山形の文化に大きな影響を与えました。
近年では観光資源として姿を変えた舟下りが盛んに行われています。

現在の最上川

現在の最上川は、市街地周辺の広い高水敷に運動場や公園等が整備され、スポーツや灯籠流し等の地元伝統行事等に利用されているほか、舟下りやカヌー、漁業等の内水面利用も盛んであり、特に秋の風物詩となっている芋煮会シーズンには、地域の交流の場として賑わいを見せるなど、現代文化の一面が最上川の中にうかがえます。